デジタル庁のデジタル化について その1

皆さんも疑問に思っているのではないだろうか。

政府にはデジタル庁という国の基盤をデジタル化して整備するための組織がある。それにも関わらず、例えば、何かの申請や手続きのために、役所に証明書を取りにいって、それを別の役所に申請して、という感じで、データではなく、人が動かされている。

最近、母が認知症になってしまい自身の資産管理ができなくなったので、私が成年後見人になることにしました。この時の申請がそれはもう大変でした。今までに成年後見人になっていないことの証明、自身および親の住民票、戸籍謄本、不動産登記、など、何度も色々な役所や裁判所に足を運びました。これらの情報って、管理しているのは全部国ではないのでしょうか?何故私たちが、書類持って回らないといけないの?

他にも何かと国の動作が遅いのも、デジタル化が進んでいないという根本的な理由が多く存在していると、私は確信しています。

 

デジタル化って、紙をデジタルに変えることだけの話ではなくて、データが横に連携することで大きなメリットが生まれるんですよね。逆に連動させなければ、手書きがキーボード入力になることと、検索・分類・加工などが便利になるくらいでしょう。

マイナンバーという国民を一意に識別するための ID が割り当てられて、デジタル庁が発足して、デジタル庁長官がしきりに「縦割りの打破」と口にしているので、てっきり、このデータの横連携ができて、大きなデジタル化のメリットが出てくるのかと期待していました。各省庁が独自にデータ持ってて横に連携しないから、デジタル庁が間に入って調整するのだと勝手に期待していました。

しかし、デジタル庁のサイトをいくら注視しても、一向にそれらしい情報が出てこない。近頃じゃマイナンバーカードを普及しよう、とか言って、お金を配ってまでマイナンバーカードを拡げようとしている。


「違うんじゃないの」と私は言いたい。


マイナンバーカードなんていうのは、政府を銀行に例えると銀行のカードと一緒で窓口から外の世界です。で、マイナンバーカードに肖りたいビジネス界の人たちが群がって、マイナンバーカードを使ってビジネスをしようって息まいている。

そうではなくて、まずは銀行内のシステムをしっかりと整備することが重要ではないでしょうか。銀行内のシステムを整備すれば、マイナンバーカードを使うメリットは自ずと出てくる。そうすれば、お金をばらまく必要なんてない。

メリットって何だ?ということですが、先ほどの説明のように、人間が動くのではなく、データが連携することで、人は一回申請するだけで、様々なサービスが受けられるようになる点が、まずは分かりやすい利点でしょう。私という人間が一回成年後見の申請をするだけで、各省庁、自治体のデータが連携されデータが集まり、地方裁判所にデータが届けられるという感じです。※実際は一か月くらいかかりましたよ。。

その他にも、データが連携すること、蓄積していくことで以下のようなメリットが期待できます。他にもいろんなことが沢山できるはず。

じゃあ、国は一体どこまでデジタル化しているのか?というと、実態は国民とマイナンバーとを紐付けるデータ整備すらできていないんです。これがデジタル化として一丁目一番地としてやるべきことなのに、やれていない。本当に不思議だ。

国民とマイナンバーとを紐付けるデータ整備について簡単に説明しますと、例えば市役所で、山田太郎という人が何か申請をするとします。その際、その人が何県何市の山田太郎かを照合しなければなりません。世の中には同じ名前の人がいますからね。そのために今は戸籍謄本を取ってきて、本人を証明して、その他の申請をする、という回りくどいことをやっているのですが、折角マイナンバーを割り当てたのですから、マイナンバーと個人名を言えば、その個人が何県何市の山田太郎だとわかるようにすればいい、ということなのです。更にマイナンバーで連携することで、様々な省庁、自治体の情報を集めて処理ができるということです。
でも、市役所なんかをみても、この個人とマイナンバーを照合できるようなデータ整備すらなされていないように見受けられます。

ここからは一般的なコンピュータの話になりますが、データが整備されていないと、何が問題なのか?皆さんからは同じ文字列にみえても、コンピュータは文字列を厳格に区別します。例えば、名前で検索しても、山田と太郎、山田太郎、山田 太郎、山田 太郎、みたいに苗字と名前を分割していたり、苗字と名前の間の空白がなかったり、半角だったり全角だったりして、同じ名前として照合できなくなっています。※以下のように半角スペースや倍角スペースもコンピュータでは文字コードとして扱うため、同じ値と見なさないことになります。

このスペースを除外する方法もあるのですが、それ以前に設計が統一されている必要があります。こんなことも、マイナンバーと照合できるようにすれば問題は解決します。
何が言いたいかと言いますと、現在の仕組みでは、役所にある何県何市の山田太郎さんと、省庁で管理している山田太郎さんは照合できないということが言いたいのです。データが照合できなければ、間違ったデータとは連携もできません。だから、デジタル化のメリットが何も出てこないのです。

そもそも、当時はそのようなデータ横連携を見据えた設計思想がなかったからだと思います。まあ、これまでは、先のことが分からずにシステムを作っていたので、仕方がないかもしれませんけど、いい加減に整備しましょうよ。。まずは、すべての省庁、自治体の国民データの名前とマイナンバーと紐付けするところからです。整備しないと、何もできませんよ。

国が管理すべきは国民なので、国が中央に国民のデータベースを持っておいて、各省庁、市町村などの自治体のデータと連携できるようにすれば、これまでにいったようなことが実現できるはずです。繰り返しとなりますが、データ連携を行うためには、データの整備 (名前とマイナンバーを紐付けること) が必要です。まずはここまでやりましょうよ。

私はただただ文句を言うだけの人にはなりたくないので、個人的な意見として、デジタル庁に改善要望を出しているところです。実際には法律の整備、各省庁、自治体の物理的なインフラ整備、システム導入など、問題は色々とあります。でも、これをやらなければ、日本のデジタル化が世界に誇れるようなデジタル化になることはありません。

個人的には、デジタル庁と話すところまで進み、実際にはマイナンバーではなく、法人担当の方ですが、今回のような話を聞いていただき、できるところから初めていただくことができました。デジタル臨時行政調査会にて提案させていただき、段階的にデジタルデータを整備する話しの第一歩を踏み出したところです。もっと加速できないかなあ、と悩んでいるところです。

取り組むことでのデメリットとして、勿論コストはかかります。データの整備・保守・設定ができる人材を配置することなんかも重要ですね。とはいえ、これをやらないで、世界トップクラスの IT 先進国なんて言えないですよね。

続きは その2でお話します。

デジタル庁のデジタル化について その2 - 高度情報解析エンジニアの囁き (hatenablog.com)

書籍出版という名の名刺

過去に書籍を出版させていただいたのですが、エンジニアやってると、15年以上たっても名刺代わりに使えます。こういう分野が得意ですって説明しやすいし、何となくメジャーなエンジニア感が伝わるんだと思います。

さて、出版に至った経緯をお話します。友人に雑誌のライターがいるのですが、私が東京に出てきて貧乏な時期に、その友人にお願いし、友人の取材した音源の文字お越しする内職を貰っていました。

私が富〇通時代に本を出版できたのも、この友人が出版社を紹介してくれたのがきっかけでした。彼と麻雀をしながら「新人に毎回同じことを教えるのが面倒になって、内容を纏めてたら本になりそうなボリュームになったんだよね。これって出版できない?」 と軽く尋ねたら、翌週に出版社紹介してやるって言ってくれて、2人で 3 社ほど出版社にプレゼンして廻りました。

「俺はコンピュータのことは分からん。お前が全部プレゼンしろ。売れる内容なら出版できるし、そうでなければ出版できないだけだ」 ということで、頑張ってプレゼンして廻りました。それで3社目のアスキーの目に留まり、雑誌連載から書籍出版となりました。

今は紙の書籍は売れ行きがよくないので、「Web ページへ掲載という形はいかがですか?」と言われることが多いのですが、Web での公開には興味がなかったので、紙の書籍出版に拘っていたのですが、幸い、雑誌の連載が好評だったため、書籍として出版できることになりました。

ちなみに、原稿は先に作成しておかないと、かなりキツイことになります。私は3か月間は深夜3時まで原稿を書いていました。じゃあ、出版で、となった場合に期限がないのです。まあ、文章というよりは、私の場合はデータ作成がきつかったのですが。。

出版業界には、「紀伊国屋指数」という言葉があって紀伊国屋が日本全体の一割くらいの販売実績があるらしく、あるキーワードの書籍が大体どれくらい売れるのか参考になるそうです。自分の書籍は少々マニアックな分野だったため、実績もなく、なかなか書籍にするのが難しいそうです。

書籍のキーワードなんかも、「22世紀、最新の科学」なんてのより、「実現したドラえもんの道具」みたいなほうがキャッチーで売れるらしく、書店で誰もが手に取るようなタイトルの書籍は売れるらしいです。大学の先生なんかが、生徒に自身の著書を買わせているのは、一定数の購買見積もりがたつから書籍化できるそうです。なるほどねえ。

自分の出版した書籍は、マニアックなので、少ししか刷っていないのですが、現在でも名刺代わりにもなりますし、エンジニアなら書籍を出してみると何かと便利かもしれません。※その前に人に負けない分野を磨く必要がありますけどね。w

エンジニアとして歩んできた道

IT エンジニアを長いことやっています。つらつらと普段思っていることや、経験したことを書いていきたいと思います。

今回は、エンジニアとして、自身が歩んできた道について、書いてみます。

私はもともと、愛知県豊橋市に住んでいて、最初の就職は地元の製造業でした。豊橋市浜松市も含めて中部製造業の盛んな地域で、世界的な技術を持った企業の多い土地です。
私の就職した会社も同様に世界的な極小プラスチック部品を製造する会社で、物凄い実力を持った方が会社を経営していました。社長は実力が服を着ているような方で、全ての考え方が違っていて、未だに匹敵する人をみたことがありません。

この社長に鍛えていただいたことが、私の社会人としての基礎になっていると思います。このような経験もあり、私はエンジニアリング プラスチックや機械にも詳しいですよ。 会社では、営業、製造、生産管理、技術など、一通りの部署を経験しました。

その社長に新入社員ながら、会社全体のコンピュータの管理を任せていただき、色々な改善をしていたのですが、「〇〇君、うちは製造業だから、コンピュータは業界で1番でなくてもよいんだよ。業界で2番くらいがちょうどいい」 という話を受け、コンピュータをもっと知りたいと思っていた私は会社を去ることにしました。社長には申し訳ないことをしたと後年思いましたが、会社の卒業生として実力を示す決意を持ち、頑張ることにしました。

実はこの転職は非常に苦労しました。

会社がコンピュータの会社ではなかったので、異業種かつ未経験での転職です。しかも 30 歳ギリ手前。うまくいくはずがありません。友人を頼って入った会社では二重派遣のような仕事をして、給料も聞いていた金額を貰えず、妻も私も体を壊すような状況でした。毎日 24 時帰りで休日はアルバイトしていました。

その後、紆余曲折しながら、富〇通サポートの派遣として出向するようになり、その中で実力を認められ、富〇通へのお誘いをいただき、富〇通社員となりました。この社員になるまでの間は、向上心の塊のような時期で、体を壊して救急車で運ばれたこともあります。貧乏すぎて家のガスが止まったりして、何とかしたいという気持ちが強かったです。当時のサポート部門の課長から「君はやる気オーラが怖すぎる」とよく言われていました。富〇通は当時体育会系の会社だったので、毎日が本気の喧嘩状態でした。電話の受話器を何回投げつけたか分かりません。当時サポート統括本部で課長をしていた方さんから「〇〇君の電話を叩きつけるっていうのは社内でも有名だよ」 と言われ、恥ずかしかったですが、それくらいしないと生き残れない世界だっだと思います。

富〇通社員になってからは、5つくらいの製品のリーダーとして動きまわっていました。その後、書籍出版、社長賞受賞など、社内では有名になったと思います。しかし、あるとき、サポートセンター長との意見の食い違いになり、「これからも Windows サポートです」 という私に対し、「これからは Linux だよ」 というセンター長、最終的に「〇〇君、君は氷河期の恐竜だ」 と言われ、会社の方針に絶望しました。

その後、富〇通をやめ、某世界的 IT 企業に転職しました。なんか勢いだけの若いやつですね。。ただし、転職慣れしている私は、お世話になった先輩から順番に転職の報告を行い (これ結構重要です)、富〇通の主要メンバーから応援されながら、某世界的 IT 企業に来ることができたのでした。なので、富〇通には未だに顔が利きます。

転職の仕方、重要です。かといって関係を保ちながら転職するにも難しいですね。転職に否定的な社会も変革されるとよいですね。